ろくめん☆ろっぴ

サークルろくめん☆ろっぴの同人活動・競馬・ingress・お仕事関係など綴ります。さばかんつなお=どうかんやしま。

ろくめん☆ろっぴ

トッパン印刷博物館「写真植字の百年」

 ハロー!

 久しぶりに日記的なブログでっす。

 いろいろとあって絶賛無職継続中です。先月にやっとこさっとこランドサットよろしく雇用保険の申請をした状態。雇用保険受給者となるのは2014年以来かな。

 その時は雇用保険270日を使い切ってしまい求職者支援制度を活用して職業訓練校に潜り込んだのでした。

 いまの心身の状態だとマトモに求職活動が出来るのは年明けになるかなあ。
 だとしてもハローワークなどで「これだ!」って求人が出たら速攻で勝負をかけますにゃあ。

 10月1日にトッパン印刷博物館の企画展「写真植字の百年」を観にいきました。
写植と写真製版が好きな自分にとっておあつらえ向きの企画展であります。

 写研やモリサワの古い写植機や第三の写植会社リョービの写植機が並んでいました。写植が始まった頃の機械から並んでいたのでそれはそれは壮観であります。

 いろいろと楽しいモノだったけれど物足りない展示だったのも事実。

 例えば紙焼きの写植がない。版下もなかった。いまの人で写植書体に興味を持つ人に紙焼きの状態である写植というものをみてもらうのに良い機会だったと思う。

 あとは写研などの写植見本帳を並べるだけでも違ったのじゃないかな。

 それでも貴重なモノも多く展示されていて必見の企画展でした。再訪したいものです。

 当時を知る人と一緒に行くのも面白そう。身近にはいなくなってしまったけれどね。

 写植企画展に行った流れで、現役の写植オペレーターのところへ近況報告などを含めて訪問しました。相変わらずお元気で何より。

 今回の企画展についても伺ったり、かつてのことを訪ねたり。

 そして現在進行形のお仕事についても興味深いお話を聞くことが出来ました。

 いつの日にかマンガ編集者からみた写植について同人誌でも出せればな、という気持ちも強くあるのです。

 ちなみに自分が出している同人誌の中でもちょいちょい写植を使っています。

 写植というのは書体だけではなくオペレーターの技術力や美観的センスもあって完成している、としております。

 あとエッジがにじむのがまさに写植。写真製版なのだよなって。

 ここまで行くとジジイの戯れ言になってしまう。

 そんなわけで誰か僕に仕事を紹介してください。


■印画紙の生産が終わったのも写植終焉のひとつかなあ。その前にモノクロの現像液がなくなった(カラーの現像液が代用品となる)。カラーの現像液だと文字が茶色ぽくなる。


■いまでも現役のPAVO-KY。版下製作など電子制御式手動写植機で出来ることが全て可能となった写研写真植字機の大傑作であり最後の機種。


■書体ごとに文字盤がわかれている。サガサーヌという棚にいれて探さないようにすむようになっている。サガサーヌあたりは写研らしいネーミングだよね。


■写研写植見本帳の最終版。僕が編集作業を始めた1991年にはこれだった。写植屋に「次の号はでるのですか?」と訊いたら「出ないね」返答があったのを覚えている。

 

貧乳回顧録08(貧乳白書2001年3月25日発行)

どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K

 


■貧乳学区(2001年3月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/GAOU
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:流星ひかる
目次イラスト:ガビョ布
装丁:すぎおら
▼コミックス
・赤いランプ(山野紺三郎)
・青姦マラソン(狂一郎)
・ナイショだ・よ♪(てるき熊)
・メシヤ!(ガビョ布)
・田中くんは大魔王(流星ひかる)
・ぶれっくふぁーすと(へっぽこくん)
・そして2人は半人前(かにかに)
・サクラ・サク(フェニキア雅子)
・貧乳エレベーター(栗東てしお)
・君といっしょに(みはらじゅん)
・いけない子(桐原小鳥)
■貧乳白書の由来
経済白書など、ありがちな○○白書って感じで命名しました。

 

 

 裏表紙のアオリ文句のセンスは今出も変わらないな。まだ萌えという言葉は使っていなかったのか。2000年も過ぎているし萌え萌え的な言葉はあったと思うのだけれどね。


 その辺は意固地で使わなかったのかも知れない。
 

 いまでもそんな性格は変わらないのか。
 

 カバーイラストが王道そのもので笑ってしまった。木陰のしたで不安そうな表情の胸がはだけた貧乳少女がいいよね。最初は着衣の乱れはなかった記憶です。編集の意見だったような気がします。
 

 ――貧乳なので胸ははだけていた方が良かろうと。
 

 マーシーラビット先生のカラーイラストがまさに某アニメのそれで、当時はこれでOKだったのか。と言うかOKにしたのだよね。そういう玩具でコスプレをしている人を街中で見かけるよね的な理由で。いまだったらさすがに厳しいような気がする。
 

 それがいいのかはともかく、まだそういう時代だった。僕だけかも知れないが。
 

 台割り(目次)を組んでいて、口絵のカラー2ページの直ぐにモノクロの扉に目次ページというのは思い返すと相当厳しい。
 

 16ページで1台(1折)というまとまりになり、それが何台かで纏められて一冊になるのです。ちなみに初期の貧乳は9台でした。
 原稿が台をまたいだ場合、その原稿が遅れると製版の時点で進行が厳しくなります。一台ならず二台分の製版がとも待ってしまうのです。その後ろの原稿が先に入っていてもほとんど何も出来ない状態が発生ですねえ。
 この貧乳シリーズはそういう台割を組んでしまい苦労したなあ。それでも巻頭にモノクロ扉と目次は入れたかったのでした。
 

 貧乳初期の巻頭は山野紺三郎先生にお願いすることがほとんどでした。巻頭に置きたくなる作家さんでした。けど原稿が届くのは最後なのです。分かりますね。


 貧乳白書を読み返してみて思うのは、読み応えのある作品もあるのでカオスな雰囲気たっぷりなアンソロだけれどまとまりがあるの感じがする。
 

 ぼくがレモンピープルを作りたかったと言うのが体現されたのだと思う。
 

 当時は忙しすぎて、そこまで考えつかなかったけれど。
 

 この頃、てるき熊先生に「年齢のゾーンがさらに低いのは読み手と合わないかなあ」と話したのを思い出した。この辺の感覚は難しいところなのだと思う。ニッチのなかのニッチについては今でも厳しいジャンルかなあって気がしています。
 

 へっぽこくん先生の「ぶれっくふぁーすと」はまさに先生らしいほのぼのとした癒やされる系の作品。なんで4ページという中途半端な原稿依頼をしたのかは記憶にないなあ。
 と、書くと先生にばれたときに「○○だったなりよー」突っ込まれる可能性が高い。
 

 いまごろの報告だけれど貧乳白書で一番使ったのが、かにかに先生の「そして2人は半人前」ですね。
 

 ネームの段階では、もう少しって感じでした。ちょうど大阪に出る用事もあって面前で打ち合わせが出来て一気に良くなったのだ。
 両手にチンコを持たせるとか二本差しとか真面目に打ち合わせをしたのですよ。
 かにかに先生も「糸を引かせる感じに」ってのがあり、さらにエロくなったなあ。12ページというのがもったいなかった。あと4ページエロシーンがあるとシコリティが上がっただろうなあ。
 

 顔を合わせて打ち合わせをすると言うのはいまでも有効的だ、としています。人の熱を感じながらっていうのは創作的なアイディアの出方が面白くなるっていうのは信念のひとつですね。ライブ感は重要。
 

 ちなみにこの「そして2人は半人前」は他の作家さんに「今回のかにかに先生の作品はエロくていいですね」という寸評を受けたのでした。
 

 魔法少女が凌辱されるって言うのは王道でたぎるものがありますね!
 

 貧乳白書の頃からあたりから流星ひかる先生が描く人物のまつげが無くなりました。後に伺ったのですが「描くのが大変だから」とありました。それでも女の子のかわいさは不変なので素晴らしいものです。
 

 流星先生は完成原稿の吹き出しに鉛筆でネームを書いて渡してくれるので写植を貼るのに助かりました。
 いまになって思うと「貼る場所を間違えてくれるな」って感じだったのかも知れない。
 

 ぼくの写植の貼り込み方が上手ではなかったので単行本作業の際「原稿用紙がべたついている、気をつけてください」と何度も言われたのが懐かしい。
 

 他にも、いろいろな意味でマンガが編集という物を一番教えてくれたのが流星ひかる先生だったのかなあ。

 


■かにかに先生作品。いま見ても素敵な作品。


流星ひかる先生による扉絵。台割りが大変とか書いておきながら、こういうのを見たかったんだ(たぶん読者も)


■赤いランプ(山野紺三郎)
この制服はさすが。2000年ころは残っていたんだな。
そして写真部を舞台にした作品です。まだフィルムカメラに印画紙メインの時代。


■メシヤ!!(ガビョ布)
出落ち感たっぷり!


■田中君は大魔王(流星ひかる)
奥様は魔女でモノローグを読むのです!


■そして2人は半人前(かにかに)
貧乳魔法少女が男たちに凌辱されるという超王道な作品。抜けたなあ。


■ライターズコメントカット(一部)
周囲から「同人誌だよね」と言われた一因かな。
広告ページにするのももったいないし、こういうカットを見たかった(たぶん読者も)

 

貧乳回顧録07(貧乳学区2001年1月25日発行)

どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K


■貧乳学区(2001年1月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/GAOU
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:ガビョ布
目次イラスト:宮野あみか
装丁:すぎおら
▼コミックス
・マリーにくびったけ(山野紺三郎)
・Chained Puppy(てるき熊)
・ちびめがね研究所(ガビョ布)
・帰ってきたメイドちゃん(狂一太郎)
・わがままなSweets(流星ひかる)
・2人きりの時間(へっぽこくん)
・雨やどり(フェニキア雅子)
・ゆ~に(GAOU)
・夢かもしれない(みはらじゅん)
魔女の条件(フェニキア雅子)
・正月怪談(栗東てしお)
・手をつないで(かにかに)
檸檬哀歌(桐原小鳥)
■貧乳学区の由来
フジテレビ深夜番組であった「第三学区」からでした。貧乳だけの学区があったらイイよねって感じでしたよ。

 

 表4の「ほええ~っとエッチで」のくだりは当時の2ちゃんねるエロ漫画板でほんのり話題になりました。某さくらが個人的にブームな時代。インターネッツ的には【さくらちゃんのエロ画像キボンヌ】な時代です。
 アオリ文句を考えるのは得意な編集者です。何か分からないけど脳内にこう言う文章がふってくるのです。医者に行った方が良いのかもしれない……。


 この頃に自分が組んだカバーレイアウトでも良い方なのが貧乳学区かな。何かモノを考えてデザインしている感じがします。
 イラストレーターのバージョンが7あたりじゃないかなあ。フォトショップで版下を作るのは難しい時代でしたね。というか無理だな。
 このくらいのデフォルメ感が、かにかに先生らしいかわいいイラスト。秋葉原にあったコミックとらのあなで週間だか月間だかで3位につけたのですよ。表紙も良いからなあ。


 口絵でイラストを描いてくださったマーシーラビット先生が商業で初CGだった記憶。イラストのみだったけれども「シチュエーション的な文章があるとエロさが増すかも」的なことをお願いしたら「そうだね」と超特濃なテキストが送られてきて『さすが!』となりました。
 情念がこもりにこもったエロは本当にエロいのです。そもそもエロは情念の塊なのだけどね。


 貧乳学区の発行は2001年1月。要するに明けて21世紀の口開けだったのです。編集作業をしていたのは世紀末だったのか。植木等の21世紀音頭を思い出してしまった。


 この編集をしながら作家さんも自分も冬コミに向けても邁進しているわけで、さらに大変な進行だった。年末進行というのは平時より本当に早い入稿と校了となるわけです。
 同人活動をしている作家さんも多いのでエロ漫画業界的にはそんな感じだと思います。問題は編集者自身もサークル活動をしている、ということだった。自分で自分の首を絞めていた状態ですねえ。


 まだ書いていなかったと思いますが、貧乳大王から本文用紙はアドニスラフを使っていました。俗に言うところの【わら半紙】です。単行本形式だと白い紙を使うのが当たり前だったのだけれど、読みやすいのは黄色味があるアドニスラフだよなあと言う感じで選びました。各作家さんの単行本に関しては白色の上質紙。分かりやすく言うと画用紙を使っていたのでした。印刷もキレイに出ましたからね。


 都内の作家さんは実際に会って打ち合わせや原稿の受け渡しが出来たのですが、遠方の作家さんも多く電話やFAXでのやり取りがメインでした。僕はとにかく長電話で作家さんを困らせてしまったかもだなあ。
 長く描いていただいたフェニキア雅子先生は同世代と言うこともあり長電話となることもしばしば。打ち合わせ以外のことも話していました。ふぇにふぇにとかなれなれしい呼び方をしたこともあったなあ。エヴァを観なさい的な事もよく言われたなあ。長電話にしてしまうのは僕の責任です。
 この辺は後日談としてどこかしらで書きます。


 てるき熊先生とも長電話だったなあ。夜から朝近くまで何かしら電話でやり取りをしていたのです。当時はIP電話などない頃でした。てるき先生の他にも打ち合わせで自宅の回線を使用していたので月の電話代が五万円を超えるのは当たり前でしたねえ。新宿や野方(中野区)のNTTで支払いをしていました。いま思えばスゴイ出費ですね。でもその金額以上の体験をした……のかもしれない。と言っておこう。

 
 GAOU先生と打ち合わせは電話より秋葉原の【喫茶店古炉奈】がデフォでした。ここのチーズケーキが劇的に美味しかったのです。雰囲気も良かったなあ。打ち合わせが終わると秋葉原を一緒に散策とかもありました。この頃かなあ、先生がRIMMのメモリで自作マシンを組んだのは。買い物に付き合って「かっこいい。惚れる!」となるレベルでした。RIMMはお高いメモリだったのです。1本3万円近くしたかなあ。これでも安くなった、という感じだったのだけれども。

 
 のーてんきに貧乳の編集をしてはいたけれど『いつ終わってしまうのか』という恐怖とプレッシャーに苛みながら過ごしていました。それでも1年後とか3年後の展望を考え続けて楽しくもあったのですが。
 いま思い返せば、THE編集者って雰囲気ですね(雰囲気だけ)。

 


■マリーにくびったけ(山野紺三郎先生):IRCの中で大人気となった。マリー可愛い。いまでもかわいい。ボビーに首ったけですよね、と言うのは両者の認識だったけど山野さんはアニメ映画、僕は片岡義男の方だった(打ち合わせでの会話がちぐはぐだった)


■帰ってきたメイドちゃん(狂一郎先生):レモンピープルの話題作がここに。某家政婦の孫とか言う設定のメイドちゃんが「ばっちゃんに縄かけて」と言うのは本当に名ゼリフ。


■ちびめがね研究所(ガビョ布先生):「このオチはどうなのか?」と審議になった。面白いからそのままだった。エロ漫画らしくないけど、いま思えばエロ漫らしいね。


■わがままなsweets(流星ひかる先生):掲載は1月だけど隔月なのでバレンタインネタはこのタイミングでした。かわいい。チョコ欲しい。


三村ツッコミが自分の中で旋風だった。バカルディかよ!

 

 

貧乳回顧録06(貧乳教室2000年11月25日発行)

どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K


■貧乳通信(2000年11月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/GAOU
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:流星ひかる
目次イラスト:栗東てしお
装丁:すぎおら
▼コミックス
無人人身販売店(狂一郎)
・水鏡(山野紺三郎)
・霧のマンシューコ(ガビョ布)
・夏のつづき(流星ひかる)
・ぬくもり(てるき熊)
・若菜・加奈(小野寺和海)
・雨やどり(フェニキア雅子)
・こんなのって…(かにかに)
・秘密の課外授業(みはらじゅん)
・遠くからフォークダンス(栗東てしお)
・はつ恋(桐原小鳥)
■貧乳教室の由来
狩野洋一先生が、よみうり文化センターで麻雀
教室をされていたとのことから命名した思い出。狩野洋一先生は競馬記者からプロ雀士となり第六期最高位に輝いたのでした。ミステリ作家としても活躍されました。ぼくは狩野洋一先生の「三日でわかる麻雀の本」でルールを覚えたのですよ。その著者歴によみうり文化センターでの麻雀「教室」があったのです。貧乳教室に至るまでが遠い……。

 

 貧乳シリーズのなかでも貧乳教室の表紙イラストは気に入っています。表紙デザインもイラストに合わせてシンプルにしてみたのでした。作家名に細い金赤(M100%Y100%)を使ったのも悪くないかって感じ。
 文字にフチを付けると総じてダサくなるのです。フチを付ける前提で書体デザインはされてないからね。


 表紙でふたりの裸の女の子が寝そべっている姿……。これは本当にたまりませんなあ。麦わら帽子をかぶっている理由が忘却の彼方なのだけれど、もしかしたら僕が『明日のナージャ』についてかにかに先生にボソッと言ったのかもしれないな。裸ん坊ふたりにアクセントを付けてみるのもってアドバイスナージャになったのかも。
 しかし麦わら帽子をかぶっている女の子ってかわいさ倍増ですよね!
 

 裏イラストのGAOU先生が貧乳教室で初登場(貧乳専科トビラがあるけど)でしたね。
 エロゲのグラフィッカーをしていると聞いて「なるほど!」となったもんなあ。GAOU先生には貧乳シリーズ最 最終巻の貧乳終了までお願いしました。秋葉原で原稿の受け渡しをすることも多く、喫茶店やPCパーツを探したなどなど秋葉原のカルチャー的な記憶も残っているので折を見て触れていきます。


 貧乳専科から訳の分からないアオリ文句を入れていたのですが、2回目の今号で辛くなっていました(早い)。いまでも「ビバ☆○○」というワードを使っていますが、この当時から使っていたのか……。レモンピープル同人誌エトセトラか何かで取り上げられた作品タイトル「ビバ☆青春」が発祥のネタなのですよ。有名作家さんだった気がするんだよなあ。当時でも古くさい言い回しなのだけれど、語感が良すぎて使っている次第であります。


 巻頭の狂一郎先生が初登場。レモンピープルで掲載されていた成仏屋彩香が面白くて好きだったので原稿依頼をしたのでした。
 自分の足で探した作家さんが多い貧乳シリーズでもあったけれど、休刊したレモンピープルで好みの漫画を描いていた作家さんに原稿をお願いすることも多いアンソロジーでした。
 彩香もギャグタッチだったし、そんなノリのネームが届くのかなって想像していたら『THE輪姦』な作品で「おおお、狂一郎最高!」となったのでした。僕は凌辱スキーでもあるのです。貧乳は凌辱方面が少なめだったから個人的には刺激がありました。かにかに先生から届いたネームも鬼畜系で「どうしたんだ。この人?」ともなったなあ。結局、それが好きな作家さんとわかり安心(?)したモノでした。


 この頃から漫画もデーター原稿が増えてきました。山野紺三郎先生はひとコマひとコマのペン入れをしてからスキャナで取り込んでパソコン上で1ページにして仕上げていくスタイルでした。時間短縮になるはずだったけれど、結局はそうならなかったなあ。もともと線画の時間がかかるタイプだったし。主線は丸ペンで何度かなぞり時間をかけて描く作家さんだったからねえ。その代わり、唯一無二の作画を誇る作家さんだったと思う。


 データー原稿に写植をはめ込むのにどうしたら良いのか、と製版所と思案して最初は出力した原稿にアナログ原稿と同様に写植を貼っていたのですが、フィルムに焼き込む作業で手間を取ってしまうので、写植を自宅のスキャナで取り込んでフォトショップで貼り込みをしていました。フォントを使うという選択が自分の中でなかったのです。講談社のコミックス誌の一部でデジタルフォントを使うようになったのかなあ。違和感がすごかったのですよ。それもあって漫画に関しては写植で通したのだと思います。


 貧乳シリーズからぺたふぇち。シリーズで長く原稿をお願いした流星ひかる先生はこの頃からさすがです。さっくりした絵柄が好みの編集Kからしたらツボすぎた訳ですよ。僕に「エヴァを観た方が良い」「セーラー服が最高」「少年SFシリーズ」などなど打ち合わせのときに話をしてくれました。いまだったらセーラー服の話で一日中ファミレスで語り合えたのじゃなかろうか。


 いろいろとトライアンドエラーで進行していく時代でしたよ。
 
 

■霧のマンシューコ(作:ガビョ布)より
霧の摩周湖コンシューマーゲームが霧のマンシューコになったとか。壊されているのは初代プレステぽい。まだブラウン管テレビの時代なんだよね。


■夏のつづき(作:流星ひかる)
情緒的なモノローグから「いやー久々の冬服は肩コルねぇ」という現実を突きつけてくる。流星ひかると言えばセーラー服だなあ。

 

 

貧乳回顧録05(貧乳専科2000年9月25日発行)

どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K


■貧乳通信(2000年9月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/栗東てしお
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:GAOU
目次イラスト:ガビョ布
装丁:きたへふ
▼コミックス
・雨に濡れた日(山野紺三郎)
・ぶらり湯けむり大乱交(てるき熊)
・おもいとげねば(流星ひかる)
・DYNAMAITE RAVAGE(ガビョ布)
・CARROT(へっぽこくん)
・Sacrifice(フェニキア雅子)
・区民エメラルデス(栗東てしお)
・夏の思い出(みはらじゅん)
・君とバニラ(桐原小鳥)
■貧乳専科の由来
 NHK教育で放送していた「趣味専科」がヒントでした。趣味が貧乳なら貧乳専科があるよねって。深夜のノリで決めたのだと思います。

 

 毎度ご存じ貧乳シリーズは、おおむね一人で編集をしていてとにかく時間が足りない。カバーデザインをデザイナー氏に発注する時間すらも惜しい状況でした。
 そしてこの貧乳シリーズが当分続くであろうと推測して、自分でレイアウトを切るのが最善手と決断。
 カバーデザインを発注して、出てきたラフをみて打ち合わせの後に完成を取りに行く(この頃はCDRなりMOなりに保存したものでした)。そしてカバーの版下を写植屋に頼んで、版下ととデータを製版所に渡し色校を待つ、という進行でした。デザインのラフが出てくるのにだいたい3週間くらいかかったかなあ。
 ひとり編集なので時間短縮というか時間を稼ぎたい、というのがあったのか。僕も製版所もデータを直接製版というノウハウなどが足りなくて10号目の貧乳指導あたりまで苦労の連続だった。そしてデザインも編集者レイアウト感があふれ出て絶望的にダサい。
 貧乳専科はマーシーラビットガビョ布へっぽこくんと三人の作家さんが初登場。
 ガビョ布先生はこれが商業初だった記憶。
 コミケ会場(コミティアかも)で「処LOG」という同人誌を見かけたのでした。気になって手にしたら往年のパソコン雑誌LOGIN投稿者の同人誌だったのです。購入して読んでいたら達者なイラストを描く人がいてペンネームを見たら【ガビョ布】とあったのです。「このペンネームはログイン読者コーナーバカチン帝国でみかけたぞ」とわくわくして、後日「エロ漫画とか描けますか?」的なノリで原稿依頼をしたのでした。引き受けてくれて嬉しかったなあ。
 ネームの段階で「うわあああ。このノリはログインの人だ」とすごく感心したモノです。完成原稿はまだ紙の時代ですが、良い感じの描き込みだった。いま読み返しても女の子の身体が柔らかそうでエロい。そして漫画の内容がシュールすぎる。ちょっと分からない。当時は理解できたハズなのだが。
 モノクロのトビライラストを描いてくださったGAOU先生も初めてでした。彼は貧乳横丁からメールで連絡をくれたのだと思う。次号のカバーイラスト(裏)からの予定でしたが、「モノクロでイラストをお願いしても良いですかね」の流れでの依頼でした。モノクロ原稿をデーターくれた最初の作家さんかもしれない。
 とにかく雰囲気で仕事をしている編集Kだなあ、となりますねえ。いまでも雰囲気だけで物事を推し進めているのは変わらないのか。
 自転車にハマったころで、一年と少しのあいだ都内の原稿取りは自転車がデフォでしたねえ。
 中野から秋葉原、両国、保谷市(いまの西東京市)とか移動していました。小さな地図帳を持って道を確認して走るのです。それすら面倒になるとカンで走り回っていました。
 マーシーラビット先生のカラーイラストも自転車で原稿をいただきに行きました。練馬の少し先だったかな。
 仕上げの最中で後ろから作業の様子を拝見していたら、エアブラシで瞳を仕上げるタイミング。瞳などにマスキングテープを貼りつつの作業で、その細かさに驚愕でした。師匠が柴田昌弘先生というのもあるのかもしれない。
 貧乳以外でもいろいろな作家さんのものすごさを知る機会が多くて、編集者としての要素を取り込めた時間だったなあ。
 そういえば、へっぽこくん先生(へっぽこさん)も自転車をやっていたころだ。自転車に乗って編集部近くまで完成原稿を届けてくれて助かったなあ
 へっぽこさんの担当を始めたとき、氏をどう呼んで良いのか分からなくて当人に伺ったのでした。
へっぽこくん先生、それともへっぽこくんなのですか?」こんな感じで。さすがにペンネームそのままっていうのも変だし、へっぽこくん先生というのもまどろっこしい。
「みんな苗字かへっぽこさんと呼んでいるなり」と教えてくれたので助かりましたよ。そしてへっぽこさんの口調が、漫画やインターネットと変わらないので「おおさすが!」となったものです(注:編集Kもだいたいそんな感じ)。
 貧乳シリーズのきっかけは貧乳倶楽部の項でも書いたとおり【山野紺三郎先生のエロ漫画を読みたい】という欲望にまみれたもので、少しでも早く単行本を出したく常に18ページで台割りを組んでいたのでした。
 そのシステムが破綻(?)して貧乳専科掲載の「雨に濡れた日」は急遽16ページと変更。イラストを二枚差し込むという対応になりました。原稿が航空便に間に合わない状況ではあったものの、空港に着いていたので「飛行機代などは渡すからそのまま来てください!」とお願いして、原稿と一緒に飛行機で羽田空港まで飛んでいただいたのでした。
 貧乳シリーズの中でも有数に大変な出来事の一つでありました。今となれば良い思い出です。