どうも僕です。
2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。
とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。
それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。
はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。
お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。
掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。
フリップ・サイド編集K
■貧乳通信(2000年9月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/栗東てしお
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:GAOU
目次イラスト:ガビョ布
装丁:きたへふ
▼コミックス
・雨に濡れた日(山野紺三郎)
・ぶらり湯けむり大乱交(てるき熊)
・おもいとげねば(流星ひかる)
・DYNAMAITE RAVAGE(ガビョ布)
・CARROT(へっぽこくん)
・Sacrifice(フェニキア雅子)
・区民エメラルデス(栗東てしお)
・夏の思い出(みはらじゅん)
・君とバニラ(桐原小鳥)
■貧乳専科の由来
NHK教育で放送していた「趣味専科」がヒントでした。趣味が貧乳なら貧乳専科があるよねって。深夜のノリで決めたのだと思います。
毎度ご存じ貧乳シリーズは、おおむね一人で編集をしていてとにかく時間が足りない。カバーデザインをデザイナー氏に発注する時間すらも惜しい状況でした。
そしてこの貧乳シリーズが当分続くであろうと推測して、自分でレイアウトを切るのが最善手と決断。
カバーデザインを発注して、出てきたラフをみて打ち合わせの後に完成を取りに行く(この頃はCDRなりMOなりに保存したものでした)。そしてカバーの版下を写植屋に頼んで、版下ととデータを製版所に渡し色校を待つ、という進行でした。デザインのラフが出てくるのにだいたい3週間くらいかかったかなあ。
ひとり編集なので時間短縮というか時間を稼ぎたい、というのがあったのか。僕も製版所もデータを直接製版というノウハウなどが足りなくて10号目の貧乳指導あたりまで苦労の連続だった。そしてデザインも編集者レイアウト感があふれ出て絶望的にダサい。
貧乳専科はマーシーラビット、ガビョ布、へっぽこくんと三人の作家さんが初登場。
ガビョ布先生はこれが商業初だった記憶。
コミケ会場(コミティアかも)で「処LOG」という同人誌を見かけたのでした。気になって手にしたら往年のパソコン雑誌LOGIN投稿者の同人誌だったのです。購入して読んでいたら達者なイラストを描く人がいてペンネームを見たら【ガビョ布】とあったのです。「このペンネームはログイン読者コーナーバカチン帝国でみかけたぞ」とわくわくして、後日「エロ漫画とか描けますか?」的なノリで原稿依頼をしたのでした。引き受けてくれて嬉しかったなあ。
ネームの段階で「うわあああ。このノリはログインの人だ」とすごく感心したモノです。完成原稿はまだ紙の時代ですが、良い感じの描き込みだった。いま読み返しても女の子の身体が柔らかそうでエロい。そして漫画の内容がシュールすぎる。ちょっと分からない。当時は理解できたハズなのだが。
モノクロのトビライラストを描いてくださったGAOU先生も初めてでした。彼は貧乳横丁からメールで連絡をくれたのだと思う。次号のカバーイラスト(裏)からの予定でしたが、「モノクロでイラストをお願いしても良いですかね」の流れでの依頼でした。モノクロ原稿をデーターくれた最初の作家さんかもしれない。
とにかく雰囲気で仕事をしている編集Kだなあ、となりますねえ。いまでも雰囲気だけで物事を推し進めているのは変わらないのか。
自転車にハマったころで、一年と少しのあいだ都内の原稿取りは自転車がデフォでしたねえ。
中野から秋葉原、両国、保谷市(いまの西東京市)とか移動していました。小さな地図帳を持って道を確認して走るのです。それすら面倒になるとカンで走り回っていました。
マーシーラビット先生のカラーイラストも自転車で原稿をいただきに行きました。練馬の少し先だったかな。
仕上げの最中で後ろから作業の様子を拝見していたら、エアブラシで瞳を仕上げるタイミング。瞳などにマスキングテープを貼りつつの作業で、その細かさに驚愕でした。師匠が柴田昌弘先生というのもあるのかもしれない。
貧乳以外でもいろいろな作家さんのものすごさを知る機会が多くて、編集者としての要素を取り込めた時間だったなあ。
そういえば、へっぽこくん先生(へっぽこさん)も自転車をやっていたころだ。自転車に乗って編集部近くまで完成原稿を届けてくれて助かったなあ
へっぽこさんの担当を始めたとき、氏をどう呼んで良いのか分からなくて当人に伺ったのでした。
「へっぽこくん先生、それともへっぽこくんなのですか?」こんな感じで。さすがにペンネームそのままっていうのも変だし、へっぽこくん先生というのもまどろっこしい。
「みんな苗字かへっぽこさんと呼んでいるなり」と教えてくれたので助かりましたよ。そしてへっぽこさんの口調が、漫画やインターネットと変わらないので「おおさすが!」となったものです(注:編集Kもだいたいそんな感じ)。
貧乳シリーズのきっかけは貧乳倶楽部の項でも書いたとおり【山野紺三郎先生のエロ漫画を読みたい】という欲望にまみれたもので、少しでも早く単行本を出したく常に18ページで台割りを組んでいたのでした。
そのシステムが破綻(?)して貧乳専科掲載の「雨に濡れた日」は急遽16ページと変更。イラストを二枚差し込むという対応になりました。原稿が航空便に間に合わない状況ではあったものの、空港に着いていたので「飛行機代などは渡すからそのまま来てください!」とお願いして、原稿と一緒に飛行機で羽田空港まで飛んでいただいたのでした。
貧乳シリーズの中でも有数に大変な出来事の一つでありました。今となれば良い思い出です。