ろくめん☆ろっぴ

サークルろくめん☆ろっぴの同人活動・競馬・ingress・お仕事関係など綴ります。さばかんつなお=どうかんやしま。

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貧乳回顧録07(貧乳学区2001年1月25日発行)

どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K


■貧乳学区(2001年1月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/GAOU
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:ガビョ布
目次イラスト:宮野あみか
装丁:すぎおら
▼コミックス
・マリーにくびったけ(山野紺三郎)
・Chained Puppy(てるき熊)
・ちびめがね研究所(ガビョ布)
・帰ってきたメイドちゃん(狂一太郎)
・わがままなSweets(流星ひかる)
・2人きりの時間(へっぽこくん)
・雨やどり(フェニキア雅子)
・ゆ~に(GAOU)
・夢かもしれない(みはらじゅん)
魔女の条件(フェニキア雅子)
・正月怪談(栗東てしお)
・手をつないで(かにかに)
檸檬哀歌(桐原小鳥)
■貧乳学区の由来
フジテレビ深夜番組であった「第三学区」からでした。貧乳だけの学区があったらイイよねって感じでしたよ。

 

 表4の「ほええ~っとエッチで」のくだりは当時の2ちゃんねるエロ漫画板でほんのり話題になりました。某さくらが個人的にブームな時代。インターネッツ的には【さくらちゃんのエロ画像キボンヌ】な時代です。
 アオリ文句を考えるのは得意な編集者です。何か分からないけど脳内にこう言う文章がふってくるのです。医者に行った方が良いのかもしれない……。


 この頃に自分が組んだカバーレイアウトでも良い方なのが貧乳学区かな。何かモノを考えてデザインしている感じがします。
 イラストレーターのバージョンが7あたりじゃないかなあ。フォトショップで版下を作るのは難しい時代でしたね。というか無理だな。
 このくらいのデフォルメ感が、かにかに先生らしいかわいいイラスト。秋葉原にあったコミックとらのあなで週間だか月間だかで3位につけたのですよ。表紙も良いからなあ。


 口絵でイラストを描いてくださったマーシーラビット先生が商業で初CGだった記憶。イラストのみだったけれども「シチュエーション的な文章があるとエロさが増すかも」的なことをお願いしたら「そうだね」と超特濃なテキストが送られてきて『さすが!』となりました。
 情念がこもりにこもったエロは本当にエロいのです。そもそもエロは情念の塊なのだけどね。


 貧乳学区の発行は2001年1月。要するに明けて21世紀の口開けだったのです。編集作業をしていたのは世紀末だったのか。植木等の21世紀音頭を思い出してしまった。


 この編集をしながら作家さんも自分も冬コミに向けても邁進しているわけで、さらに大変な進行だった。年末進行というのは平時より本当に早い入稿と校了となるわけです。
 同人活動をしている作家さんも多いのでエロ漫画業界的にはそんな感じだと思います。問題は編集者自身もサークル活動をしている、ということだった。自分で自分の首を絞めていた状態ですねえ。


 まだ書いていなかったと思いますが、貧乳大王から本文用紙はアドニスラフを使っていました。俗に言うところの【わら半紙】です。単行本形式だと白い紙を使うのが当たり前だったのだけれど、読みやすいのは黄色味があるアドニスラフだよなあと言う感じで選びました。各作家さんの単行本に関しては白色の上質紙。分かりやすく言うと画用紙を使っていたのでした。印刷もキレイに出ましたからね。


 都内の作家さんは実際に会って打ち合わせや原稿の受け渡しが出来たのですが、遠方の作家さんも多く電話やFAXでのやり取りがメインでした。僕はとにかく長電話で作家さんを困らせてしまったかもだなあ。
 長く描いていただいたフェニキア雅子先生は同世代と言うこともあり長電話となることもしばしば。打ち合わせ以外のことも話していました。ふぇにふぇにとかなれなれしい呼び方をしたこともあったなあ。エヴァを観なさい的な事もよく言われたなあ。長電話にしてしまうのは僕の責任です。
 この辺は後日談としてどこかしらで書きます。


 てるき熊先生とも長電話だったなあ。夜から朝近くまで何かしら電話でやり取りをしていたのです。当時はIP電話などない頃でした。てるき先生の他にも打ち合わせで自宅の回線を使用していたので月の電話代が五万円を超えるのは当たり前でしたねえ。新宿や野方(中野区)のNTTで支払いをしていました。いま思えばスゴイ出費ですね。でもその金額以上の体験をした……のかもしれない。と言っておこう。

 
 GAOU先生と打ち合わせは電話より秋葉原の【喫茶店古炉奈】がデフォでした。ここのチーズケーキが劇的に美味しかったのです。雰囲気も良かったなあ。打ち合わせが終わると秋葉原を一緒に散策とかもありました。この頃かなあ、先生がRIMMのメモリで自作マシンを組んだのは。買い物に付き合って「かっこいい。惚れる!」となるレベルでした。RIMMはお高いメモリだったのです。1本3万円近くしたかなあ。これでも安くなった、という感じだったのだけれども。

 
 のーてんきに貧乳の編集をしてはいたけれど『いつ終わってしまうのか』という恐怖とプレッシャーに苛みながら過ごしていました。それでも1年後とか3年後の展望を考え続けて楽しくもあったのですが。
 いま思い返せば、THE編集者って雰囲気ですね(雰囲気だけ)。

 


■マリーにくびったけ(山野紺三郎先生):IRCの中で大人気となった。マリー可愛い。いまでもかわいい。ボビーに首ったけですよね、と言うのは両者の認識だったけど山野さんはアニメ映画、僕は片岡義男の方だった(打ち合わせでの会話がちぐはぐだった)


■帰ってきたメイドちゃん(狂一郎先生):レモンピープルの話題作がここに。某家政婦の孫とか言う設定のメイドちゃんが「ばっちゃんに縄かけて」と言うのは本当に名ゼリフ。


■ちびめがね研究所(ガビョ布先生):「このオチはどうなのか?」と審議になった。面白いからそのままだった。エロ漫画らしくないけど、いま思えばエロ漫らしいね。


■わがままなsweets(流星ひかる先生):掲載は1月だけど隔月なのでバレンタインネタはこのタイミングでした。かわいい。チョコ欲しい。


三村ツッコミが自分の中で旋風だった。バカルディかよ!