ろくめん☆ろっぴ

サークルろくめん☆ろっぴの同人活動・競馬・ingress・お仕事関係など綴ります。さばかんつなお=どうかんやしま。

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貧乳回顧録04(貧乳通信2000年7月25日)

 どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K


■貧乳通信(2000年5月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/山野紺三郎
カラー口絵:山野紺三郎/かにかに
トビライラスト:栗東てしお
目次イラスト:ラスカルにしお
装丁:伸童舎
▼コミックス
・失敗大作戦(山野紺三郎)
・鈴木さんは魔女(流星ひかる)
・名探偵ママン(てるき熊)
・となりのお兄ちゃん(フェニキア雅子)
電車でGO!2000(成田山武頼庵)
・お兄ちゃんてば…(かにかに)
・小さいこともイイことだ!(栗東てしお)
・if~(みはらじゅん)
・若きお嬢様の悩み(宮野あみか)
・にちようび(桐原小鳥)
■貧乳通信の由来
光通信とかインターネットあたりとか考えたのだけど、最終的には電波を送るから受信してくれの通信でした。だったら貧乳電波だよなって突っ込まれると弱い。

 

 

 かにかに先生が描かれた表紙イラストのラフ画はハーフジーンズだけを穿いた女の子でした。
「女の子が水にかかた状態で透けているTシャツはエロいですよね。それで乳首がぷっくりと勃っているとさらにエロいですよね」と僕が貧乳大王のときと同じように何かしらの呪文を唱えたのです。それによって僕の趣味が出たエロエロなイラストへと昇華したのでした(ナニを偉そうに)。
【それでも透けて見えているってエロいではないですか!】(力説)

 その余勢を駆って貧乳通信から【貧乳少女好き好き♪描き下ろしアンソロジー】が副題につきました。
 美少女描き下ろしアンソロジーという言葉が面白くなかったのと、良い感じで頭が悪い感じを出したかったのです(作家さんにも頭が悪い感じで良いと好評だった)。この時代に萌え萌えという言葉もあったけれど、それに逆らったのかもしれない。カジュアルなちゃねらーだったのですけれどね。

 カバーまわりは全てデーターだったのですが、データを打ち出した文字などで写植屋が版下を作り、その版下とデーターをもとに製版所がフィルム製版を行うという、謎の手順を踏んでいたのです。時代の変わり目は対応がしきれなくて手間を増やしてしまうのかもだよなあ。

 ライターズコメントを眺めていると夏コミの宣伝をする作家さんが大半で、それがいまになると記録だなあ、と感心します。

 そのライターズカットを目にすると貧乳通信のあたりで、かにかに先生が会社を辞めたのを思い出した。そこの営業さんから「どうにか辞めないように説得してくれないか」と電話で言われたなあ。焼き肉屋で接待されて、同じようなことを言われたなあ。かにかに先生には一応報告をしたけれど、まあ変わらないよね。
 いまとなっては懐かしい思い出話です。

 目次を眺めていると、またいろいろと思うところがあります。
 
 まず、この貧乳通信からカラー口絵が入るようになりました。これはカラーイラストがあると読者が喜ぶよね。僕も喜ぶよね。それに付随してだけれど、遅筆で知られている山野紺三郎先生がカバーイラスト・カラーイラスト・16ページの漫画を描いていたことがよみがえった。それでも何とかなったのだな……。ふたりとも若いし頑張れたのか。しかしながらお互い大変だったよね。

 もうひとつが、貧乳大王のときにもIRC云々がありましたが、この目次でもそれがあるのです。V麻雀という雑誌で【魔法のメンバータイニーグリーン】という魔女っ子モノ麻雀漫画が連載されたのです。それが、僕を中心としてほんの一部だけどIRCで大流行。それがきっかけで、タイニーグリーンの作者ラスカルにしお先生までたどり着き原稿をお願いすることが出来ました。コンバットコミックスでTOPGALの連載もされていた美少女な漫画家さんでした。

 三原ジュン先生が『みはらじゅん』とひらがなへと変更になったのもこの貧乳通信。どこでもいっしょに出てきた三原ジュン由来のペンネームだったのですが、はみだっし子などで知られる漫画家三原順先生と混同されてしまうかもっていう本人からの申し出もあってのことだったかなあ。

 この頃はほのぼのした漫画がほとんどだったなあ。成田山武頼庵先生の「電車でGO! 2000」なんて集団痴漢NTRモノなのに、少女漫画的な絵柄で変にほのぼのした雰囲気がありました。それゆえ背徳感もすごい。
 
 時代が経ちましたが、面白い作品があるので貧乳シリーズに関しては何かの機会にPDFで頒布しておきたいかな。
 
 僕がいままで編集してきたエロ漫画は総じて消しが甘いのだが、この辺もご多分に漏れずそうですねえ。
 消しは製版所に頼んでいたので、原稿用紙にトレーシングペーパーを貼り青鉛筆などで消しの箇所の指定をしていたのですよ。描いてあるモノを消すのが嫌な編集者だけれど、単にその作業も面倒でした。
 と、書きつつ貧乳通信に目を通すと白抜きで消している箇所もあるとは言え「これだったら大丈夫だよな。なんか見えないし形もアバウトだから」でスルーしているところも多い。
 どこの出版社も消しが甘い時代だったのだと思うのだ。
 
 編集後記に「1、2、3、毎度~!」と書いてあるのもリアリティーがある。BS野球中継の日ハム戦を観ながら編集していたのだなあ、と(伝われ)。

 

貧乳回顧録03(貧乳法典2000年5月25日発行)

 どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

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 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K


■貧乳法典(2000年5月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/流星ひかる
装丁:伸童舎
▼コミックス
・MOMOKA(成田山武頼庵)
・愛さえあれば(山野紺三郎)
正義の味方も楽じゃない(流星ひかる)
・ロリバス(栗東てしお)
・~奪~(かにかに)
・子♡悪魔の冒険(てるき熊)
・milk white(フェニキア雅子)
・籠の鳥(三原ジュン)
・The Day's Divinty.The Day's Angel(犬)
・sweet(桐原小鳥)

 

 いまハッと思い出したのは、貧乳法典の作業中に社長から「貧乳を毎月刊行して欲しい」と言われたこと。

 出版社として雑誌を新規ではじめる体力はないけれど単行本であれば出していけるなど利点があったからね。


 さすがに全ての作業をひとりでやらないとダメなので「隔月でお願いします」と返答したのでした。アルバイトなんて雇えないのですよ。

 打ち合わせに、写植関係、原稿取り、版下作成、入稿、校正などなど……いま思い返せば隔月でもしんどい。


 年寄りの編集者から教えられて、自分もそうだなってしているのは「編集は、直近のこと三か月先、半年先、一年先、三年先のことを常に考えている」と言うことですね。
 ナニを偉そうにって感じだけれど、実際そうしなければ何も進まないものです。
 貧乳法典での原稿依頼や台割り作業で、それをヒシヒシと感じ始めました。
 

 この貧乳法典というタイトルは、この号ではじめて執筆していただいたフェニキア雅子先生のフェニキアからとったと言う説を自分で唱えておきながら、中山競馬場の最寄り駅「船橋法典」から頂戴したという記憶が巻き起こってきました。とりあえずはハンムラビ法典と言うことにしておきましょう。
【エロ漫画にはエロを、貧乳には貧乳を】ですね!
 

 裏表紙は雑誌レモンピープルで連載をしていた流星ひかる先生にお願いしました。
 同僚の編集が担当をしていた流星ひかる先生最初の単行本「半分少女」の表紙イラストが素敵で素敵で、その編集から紹介してもらい、カラー原稿を無理してお願いしました。

 

 イラストを観ていただければ分かると思いますが、まだまだアナログ原稿の時代です。
 CGは数値上の色が再現されるので、それほど間違いはないのですが(この頃は怪しい)アナログはスキャニングなどを行う製版所によって色味の再現が違うので苦労をしたけれど、その経験がデジタル全盛となっても生きたところはあるのかもしれないなあ。感覚的なものだと言われてしまえばおしまいかな。
 貧乳宝典のカバー色校正は製版所のカラーが微妙すぎて三度直しています。
 

 巻末にあった作家さんコメントコーナー『ライターズカット』は、漫画家さんが描いたちょっとしたイラストを載せるのも読者にとっても楽しいかなっていうのが狙いでしたね。これはこれで作家さんに手間を取らせてしまい申し訳ないところだったのですが、同人誌的のようなライブ感があって良かったなあ。このあたりの版下はイラストレーターで作成しておりました。
 貧乳大王などでアンケートなど結構な反響を頂いてページがあいたところに読者コーナーでも、と台割りをみてもスペースが無くどうしたものかと頭をひねったら、包みカバーの下にある表1と表4が使えるという発想が浮かび貧乳横丁というコーナーを作ったのでした。
 評判も良かったのですが、後に首を絞めることに。なぜならカバー周りの入稿って本文よりかなり先なのでした。締め切りまでに届いたアンケートの版下を作るわけです。もちろん本文の入稿作業を進行しながら。貧乳シリーズで大変だったひとつに挙げられるかもですね。
 

 流星ひかる先生同様にレモンピープルで描かれていて、貧乳法典でお願いした成田山武頼庵先生のMOMOKAも本当にエロくてたまらないものでした。いま読んでもイケる漫画ですよ。
 

 このころはファックスで届いたネーム(吹き出し内の文字とか簡単な下描きとか)で興奮した編集者でした。体力的なところでも大変だったな。しかし、そうしたことによって入稿作業や校正ではそういうこともなく済むのです。済むのですじゃなくて、そんなことも不可能な生活リズムだったのです。
 いまでも平均睡眠時間は4時間程度なのですが、当時のリズムが身体に刻まれたのかもですねえ。
 

 そういえば貧乳シリーズの告知をWEBで始めたのもこのころ。個人で契約していたプロバイダーnewebのサービスを使っていたのでした。
 貧乳でnewebって良い感じのダジャレですよね!

貧乳回顧録02(貧乳大王2000年3月25日発行)

 どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

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フリップ・サイド編集K


■貧乳大王(2000年3月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/山野紺三郎
装丁:伸童舎
▼コミックス
・ゆきとゆうき(山野紺三郎)
・着ぐるみがポイント(かにかに)
正義の味方も楽じゃない(流星ひかる)
・小鳥達の柩(てるき熊)
・リトルショップ オブ フラワーズ(栗東てしお)
・古代超文明ミラクブルマーズ(さんずい)
・SMOKES AND CHILDREN(QUE?)
・はいいろの夢(三原ジュン)
・LOVELY BABY(桐原小鳥)

 

 貧乳倶楽部の発行から少し過ぎたあたりで社長を中心とした会議がありました。
 経営状態に関してなかなか厳しい内容だった記憶があります。そしてその中で「売れ行き好調の貧乳倶楽部を続けて発行していくのはどうだろうか?」という打診が社長からありました。


 マジッすか、と思いつつそれを引き受けることに。


 その頃ぼくが会社でやっていたのは社内ネットワークの構築だったので、まともな編集作業をしたい気持ちが強かったのです。あとは同僚が編集をしていたロリマンガ雑誌瑠璃姫の手伝いくらいだったかな。


 しかもその同僚は社長と折り合いが悪くて苦労していたなあ。瑠璃姫の不運はここにもあるか。


 会議後、少々してから企画を練り始めたので、貧乳大王の発行まで少々時間がかかったのです。


 貧乳大王とタイトルを付ける前に「貧乳倶楽部2」とか通しナンバーを入れて行くことを考えたのですが、だいたい巻数が進んでいくと本の売れ行きが悪くなるのも知っていたので、毎回毎回「貧乳○○」とタイトルを変えて行こうと決めました。それと、アンソロジーが続くわけ無いよなあっていうのが頭にあったのも事実。


 この『大王』はあからさまに、あずまんが大王の大王からいただいた感じ。当時ハマったマンガ作品です。大阪が好きだったなあ。自室は大阪を中心としたあずまんが地獄でした。


 表紙イラストは、貧乳倶楽部同様かにかに先生と山野紺三郎先生というのは確定していました。


 かにかに先生が表紙イラストのラフを送ってくれたとき、女の子は全裸だった記憶です。僕はどちらかというと着衣派。脇から胸の膨らみが見えているのが最高な人生なのです。


 そしてこの頃にIRCのチャットで「牧場とかで麦わら帽子をかぶった白のワンピースを着た女の子って最高だよね!」という会話で盛り上がっていたのでした。


 という訳で、かにかに先生にこのチャットで盛り上がった旨を申し伝えたのと「着衣はエロいのですよ」と暗示をかけて完成したのが貧乳大王の表紙イラストだったのです!


 ちなみにかにかに先生は全裸が好きな作家さんなのです。


 貧乳倶楽部の時はMD5000というプリンタで表紙イラストを20枚ほど打ち出して書店営業をかけて宣伝のポスターを貼っていただきました。貧乳大王からは自宅にあったA3インクジェットプリンターで宣伝用のA3サイズのポスターを100枚くらい印刷して各書店を回って歩きましたよ。


 それと貧乳倶楽部から大王までに年を越しているのですが、そのとき開催された冬コミコミケカタログで久保書店が1ページ広告を出したのです。その版下を作ったのが僕で、なんか知らないけれど下1/3のスペースが空いてしまったのです(棒読み)。誰かがチェックをするわけでもないので致し方なく貧乳倶楽部の広告を入れたのでした。


 この冬コミは一般参加で並んでいたのですが、前の人たちがコミケカタログを眺めながら「貧乳倶楽部だって。へええ。」と会話にしていたのは忘れられない思い出ですね。


 コミケカタログと書店ポスターの反響もあったのか、貧乳大王も読者さまや書店からの評判が良く一安心した一冊でもあります。


 トビライラストは流星ひかる先生でした。いまみても可愛いイラストでお気に入りです。流星先生には「エロエロなマンガは描かないのですか?」と何度か訊いてみたのですが「描かないですね」の繰り返しでした。それと僕がエヴァを観たことが無いと知ると「編集Kさんは絶対エヴァにハマりますから観た方がいいですよ。DVDを貸しますよ」と勧められたのですが断固として観ませんね、と僕はかたくなに断っていました。


 そして貧乳大王で作家さんを探しているとき、その流星先生から桐原小鳥先生の同人誌を紹介されて「マンガはまだまだだけど気になる絵柄だなあ」となり桐原先生に原稿依頼をすることに決めました。


 この本を今ごろ眺めると編集作業など拙いところが多すぎるけれど、何というか自分の熱量がすごいとしか言えない。これで何とかしようと言うより、会社の金で好きな本を作れる喜びにあふれていたのだと思う。


 後にエロ漫画の巨匠ダーティ・松本先生やおかもとふじお先生に「Kくんは会社の金で同人誌を作っているんだって?」と言われ続けたのです。


 当時は多少それに反発はあったけれど、言われたとおりだよね。

貧乳回顧録01(貧乳倶楽部1999年7月25日発行)

 どうも僕です。

 2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。

 とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。

 それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。

 はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。

 お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。

 掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。

フリップ・サイド編集K

 


■貧乳倶楽部(発行日1999年7月25日)
表紙イラスト:かにかに/山野紺三郎
装丁:ANNMO
▼コミックス
・はじまりの種と芽と(山野紺三郎)
・大江戸大捜査線!(QUE?)
・友達から恋人に…(かにかに)
・夏渡し(流星ひかる)
・ディ・トリッパー(栗東てしお)
・せーてー真奈子ちゃん(さんずい)
・こんなんでも愛(犬)
・貧乏神にお願い!(宮野あみか)
・カットイラスト:およねスライム

 

『すべてはここから始まった……』
 というのは大げさなのだけど、この貧乳倶楽部の企画を頭に浮かべていた頃の1999年は児童ポルノ法案関係もありエロ漫画業界は騒然としていました。いろいろな版元で発行されていたロリ系のアンソロジーが軒並み中止となっていました。
 所属していた久保書店あまとりあ社)も同様なのですが、その頃は雑誌のレモンピープルや桃色小町も休刊しており、その状況把握が若干甘い版元でした(それと関係なく甘いのだが)。
 僕自身は、この件に関して政治家とやり取りをして大丈夫だろうという認識と、最初に編集した単行本が返本率9割。そしてその次に出したアンソロジー「なかみよし」の返本率も9割という実情に鑑みると貧乳倶楽部が編集者として背水の陣だった訳です。
「なんなら見せしめで捕まってもええわ」の心境でしたよ。
 さてそれはさておき、完全データで表紙カバーの入稿をした初めての作品でした。
 表紙イラストのかにかに先生はエロゲーメーカーのTOPCATでグラフィックを担当されていた方です。
 出会ったきっかけはコミケ会場を歩き回っていたときに、先生のサークルを一度通り過ぎたけれど視線に残った作品に魅力を感じて手にしたことでした。貧乳倶楽部を考えていたときに、かにかに先生のイラストがイメージにあったので奥付の住所に依頼の手紙を送ったのです。
 裏表紙はIRCというチャットシステムで知り合いになった山野紺三郎先生にお願いしました。この貧乳が先生の商業初CGだと思います。
 もともとアナログ原稿がキレイな作家さんで前述にある「なかみよし」の表紙をお願いした作家さんです。
 なかみよし自体は面白いアンソロだったのですがエロなし一般のアンソロジーと言うこともあり売れませんでした。版元がエロ漫画メインでしたからね。
 貧乳倶楽部自体はなかみよしのメンツでエロ漫画を出したら何とかなるのじゃないか。何とかならなくても「商業で山野紺三郎のエロ漫画を読みたい」というのが強くあった企画でした。
 性的欲望に直球過ぎる……。
 時代にハマったのか貧乳倶楽部は何度か重版するほどに出てくれました。
 いまでも思い出すのが、最初の見本を手にした社長が「こんなタイミングでロリじゃないか。どうするんだ!」と大剣幕で詰め寄ってきたことです。
 久保書店というところは編集会議もなく編集長の許可を得れば、それとなく発行できた会社でした。
 タイトルにロリという言葉を使わず「美少女描き下ろしアンソロジー貧乳倶楽部」と銘打ったので誰にもロリ系と分からなかったのでしょう。
 社長に怒られたこともあり3日ほど出社拒否。
 そして辞めてもいいやと、編集部に顔を出すと社長が満面の笑みで「すごい売れているよ。よかったよ。重版かけるよ!」と手のひら返し。
 初版9000部が書店に並んでから数日でなくなり書店注文が殺到となれば、社長の態度もそりゃそうだよなとしか言えない。
 いま思えば【貧乳】という言葉が商業コミックで出てくるようになったのは、この貧乳倶楽部あたりがきっかけかもしれない。少なくともこれ以前でコミックスのタイトルに「貧乳」という言葉を見かけないのですよ。少しだけ時代を作ったのかもしれない。
 編者「フリップ・サイド」はB面という意味です。これは編集Kという立場で違う書籍を編集しており、それの片面というイメージでした。本当のところは、営業に「アンソロジーなのに編者がいないのはおかしい」と言われて即興で作った名前です。
 それはともかく「この手のアンソロジーは単発でおしまいだよねえ。次は何をしようか」と過ごしていたのです。
 

7月10日からANKERのモバイルブースター(バッテリー)を使ってみて。

 どうも僕です。 

 ANKERのモバイルブースター(バッテリー)『Anker Power Bank20000mAh(リンク先アマゾン)』を使ってからだいたい一週間ほど経ちました。

 使ってみての感想などを書き連ねていきます。ちなみに配送のアマゾンとの無益な戦いがありました。これについては後日にまとめるかもしれません。

 いままで使用していたPower Core3と最大に変わったことはパーセンテージでバッテリーの残量が表示されることですね。それまではLEDのドットでだいたいを把握できるものだったのですが、実際の数字で出てくると分かりやすいですよね。

 ボタンを押すと定電流モードになります。typeCでイヤホンなどに繋ぐと自動で定電流モードで充電されます。便利ですね。


■サイズはタテ153mmヨコ72mm厚さ28mmで、PowerCore3と比べてタテ幅が低くなった感じ。重さは485gと若干の軽量化。それでもペットボトル一本分ほど。
■表面の加工は値段なり。グリップするには滑りやすいかも。残量のLED表示は見やすいです。


■ヨコ面の処理は波を打つ感じに。多少は持ちやすくなるのかなーって感じ。


■背面はこのような感じ。技適などの表示もあり安心できますね。


■typeCがふたつ。typeAがひとつ。typeC二つの差し込み口でIN/OUTできるのは良い感じ。typeAはOUTのみ。ここに大粒の汗を落としてしまうときがあるので気をつけないとならない。

 とにもかくにもIngressもあり、ほぼ毎日モバイルブースターを使用しています。

 一日中Ingressで遊ぶのには20000mAh程度のものが欲しいところなのです。このクラスでも20時過ぎに尽きる感じかな。それ以上のものだと重くて持ち運びが難しいのです(なかにはいくつもモバイルブースターを持ち歩くAG(プレイヤー)もいる)。

 モバイルブースターのメーカーとしてはANKERが第1候補となります。アイテムのクオリティが高い。それにサポートがしっかりしていて、交換などの対応が素早い。保証期間も18か月から24か月と長期間でクラッシャー気味な自分としても安心度が高め。

 しかし残念ながらクラッシャーなので今回ので5代目にあたります。前回の機種は気に入っていたので壊れたときはショックでした。コネクタというか内部基板が破損した壊れ方をしました。使用している環境が酷なのかもしれない……。

 今回のPowerBankは最大30Wの出力。モバイルブースターにも30Wで給電が可能。価格が6000円しないアイテムでは頑張っています。

 容量も大きいので寝ているときに充電しています。充電自体はそれほど速くないけど不可もなしという感じ。バススルー充電には非対応。従来品でも無い機能だったので、なくても構わないと判断して選択しました。上位機種にはあります。

 バススルー充電は宿泊とかで充電環境が限られてしまうときには欲しい機能かな。

 スマフォ側への給電も少々遅い感があります。それでもIngressをやりながら給電が追いつかないほどではないので大丈夫かな。さらに暑い季節になるとどうなのかは未知数ですね。たぶん問題ないと思います。

 また使用環境もあると思うのですが、本体が熱を持つときもあります。今後、使っていけば落ち着くのかしれないし、これ自体の個体差かもしれない。

 最初の写真にあるようにストラップ式のtypeCtoCのUSBケーブルがついています。物珍しさもあり付けたまま使用していたのですが、邪魔すぎて直ぐに外しました。

 使い方や持ち運び方によるところでしょう。それでも鞄に忍ばせておくのが吉ですね。ANKERのケーブルは出来が良いのです。

 ぼくはズボンのベルトにつけたポーチに入れてモバイルブースターを使用しています。荷物が多くてリュックが重いところ、さらにモバイルブースターを追加すると肩にかかる重さが尋常じゃ無くなります。あとUSBケーブルの取り回しが、ポーチに入れた方が楽ですね。ケーブルの長さも1mほどで済みます。

 前述の通りタテ幅が小さくなってくれたおかげで、そのポーチに収まりきるようになりました。いままでのは若干はみ出てしまい落下してしまうこともあったのです(壊れる要因のひとつ)。そのリスクが減るのは良かったかな。

 今回紹介したモバイルブースターのような20000mAhも大きなものは必要ないよーっていう方が大体だと思います。まず重いですからね。

 その場合は10000mAhのモバイルブースターを選ぶのが良きです。持ち運びも楽だし。5000mAhのをわざわざ買うのはやめた方が良いかな。せいぜいスマフォ一回分充電できるか否かなので。

 災害時のことを考えるとそこそこ容量があるバッテリーがオススメです。

 モバイルブースターの価格も上がっている中、6000円もしないでこういうアイテムを出すANKERもさすがだと実感したアイテムですよ。


■7月15日にIngressのmeet upが突然国立競技場で開催された。そのときいただいたシールをモバイルブースターに貼り付けた。

 この写真にあるキャプションに書いたとおり、Ingressのmeet upがありました。そのときこのモバイルブースターを持参。ステッカーを現場で貼って記念撮影の時には印籠のように差し出していました!

 このイベントについては深津庵先生がリポートをされています。楽しいイベントでしたよ!

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