どうも僕です。
2017年のコミティアで「貧乳回顧録」という作品を発行しました。僕が編集した貧乳シリーズ(前47冊)を振り返ったものです。
とにかく締め切りまで時間がなくて3日ほどででっち上げた作品でもあり、機会があったら書き直して再度まとめたいと頭にありました。
それで一気に書き上げるのもしんどいので、はてなブログでちまちま書きためてから一冊にするかね、という結論に達したのですよ。
はてなブログでは【貧乳】というタグで、ツイッターでは【#貧乳回顧録】のハッシュタグであげていきます。
お付き合いいただけると嬉しいです。また質問などがありましたら可能な範囲でお答えします。
掲載した記事をリライトや、掲載作品の想い出や時代背景などを付け足していくこともあります。そして、どこかのタイミングで有料化記事にするかもしれません。その際はご了承ください。
フリップ・サイド編集K
■貧乳通信(2000年11月25日発行)
表紙イラスト:かにかに/GAOU
カラー口絵:マーシーラビット/かにかに
トビライラスト:流星ひかる
目次イラスト:栗東てしお
装丁:すぎおら
▼コミックス
・無人人身販売店(狂一郎)
・水鏡(山野紺三郎)
・霧のマンシューコ(ガビョ布)
・夏のつづき(流星ひかる)
・ぬくもり(てるき熊)
・若菜・加奈(小野寺和海)
・雨やどり(フェニキア雅子)
・こんなのって…(かにかに)
・秘密の課外授業(みはらじゅん)
・遠くからフォークダンス(栗東てしお)
・はつ恋(桐原小鳥)
■貧乳教室の由来
狩野洋一先生が、よみうり文化センターで麻雀教室をされていたとのことから命名した思い出。狩野洋一先生は競馬記者からプロ雀士となり第六期最高位に輝いたのでした。ミステリ作家としても活躍されました。ぼくは狩野洋一先生の「三日でわかる麻雀の本」でルールを覚えたのですよ。その著者歴によみうり文化センターでの麻雀「教室」があったのです。貧乳教室に至るまでが遠い……。
貧乳シリーズのなかでも貧乳教室の表紙イラストは気に入っています。表紙デザインもイラストに合わせてシンプルにしてみたのでした。作家名に細い金赤(M100%Y100%)を使ったのも悪くないかって感じ。
文字にフチを付けると総じてダサくなるのです。フチを付ける前提で書体デザインはされてないからね。
表紙でふたりの裸の女の子が寝そべっている姿……。これは本当にたまりませんなあ。麦わら帽子をかぶっている理由が忘却の彼方なのだけれど、もしかしたら僕が『明日のナージャ』についてかにかに先生にボソッと言ったのかもしれないな。裸ん坊ふたりにアクセントを付けてみるのもってアドバイスがナージャになったのかも。
しかし麦わら帽子をかぶっている女の子ってかわいさ倍増ですよね!
裏イラストのGAOU先生が貧乳教室で初登場(貧乳専科トビラがあるけど)でしたね。
エロゲのグラフィッカーをしていると聞いて「なるほど!」となったもんなあ。GAOU先生には貧乳シリーズ最 最終巻の貧乳終了までお願いしました。秋葉原で原稿の受け渡しをすることも多く、喫茶店やPCパーツを探したなどなど秋葉原のカルチャー的な記憶も残っているので折を見て触れていきます。
貧乳専科から訳の分からないアオリ文句を入れていたのですが、2回目の今号で辛くなっていました(早い)。いまでも「ビバ☆○○」というワードを使っていますが、この当時から使っていたのか……。レモンピープル同人誌エトセトラか何かで取り上げられた作品タイトル「ビバ☆青春」が発祥のネタなのですよ。有名作家さんだった気がするんだよなあ。当時でも古くさい言い回しなのだけれど、語感が良すぎて使っている次第であります。
巻頭の狂一郎先生が初登場。レモンピープルで掲載されていた成仏屋彩香が面白くて好きだったので原稿依頼をしたのでした。
自分の足で探した作家さんが多い貧乳シリーズでもあったけれど、休刊したレモンピープルで好みの漫画を描いていた作家さんに原稿をお願いすることも多いアンソロジーでした。
彩香もギャグタッチだったし、そんなノリのネームが届くのかなって想像していたら『THE輪姦』な作品で「おおお、狂一郎最高!」となったのでした。僕は凌辱スキーでもあるのです。貧乳は凌辱方面が少なめだったから個人的には刺激がありました。かにかに先生から届いたネームも鬼畜系で「どうしたんだ。この人?」ともなったなあ。結局、それが好きな作家さんとわかり安心(?)したモノでした。
この頃から漫画もデーター原稿が増えてきました。山野紺三郎先生はひとコマひとコマのペン入れをしてからスキャナで取り込んでパソコン上で1ページにして仕上げていくスタイルでした。時間短縮になるはずだったけれど、結局はそうならなかったなあ。もともと線画の時間がかかるタイプだったし。主線は丸ペンで何度かなぞり時間をかけて描く作家さんだったからねえ。その代わり、唯一無二の作画を誇る作家さんだったと思う。
データー原稿に写植をはめ込むのにどうしたら良いのか、と製版所と思案して最初は出力した原稿にアナログ原稿と同様に写植を貼っていたのですが、フィルムに焼き込む作業で手間を取ってしまうので、写植を自宅のスキャナで取り込んでフォトショップで貼り込みをしていました。フォントを使うという選択が自分の中でなかったのです。講談社のコミックス誌の一部でデジタルフォントを使うようになったのかなあ。違和感がすごかったのですよ。それもあって漫画に関しては写植で通したのだと思います。
貧乳シリーズからぺたふぇち。シリーズで長く原稿をお願いした流星ひかる先生はこの頃からさすがです。さっくりした絵柄が好みの編集Kからしたらツボすぎた訳ですよ。僕に「エヴァを観た方が良い」「セーラー服が最高」「少年SFシリーズ」などなど打ち合わせのときに話をしてくれました。いまだったらセーラー服の話で一日中ファミレスで語り合えたのじゃなかろうか。
いろいろとトライアンドエラーで進行していく時代でしたよ。
■霧のマンシューコ(作:ガビョ布)より
霧の摩周湖+コンシューマーゲームが霧のマンシューコになったとか。壊されているのは初代プレステぽい。まだブラウン管テレビの時代なんだよね。
■夏のつづき(作:流星ひかる)
情緒的なモノローグから「いやー久々の冬服は肩コルねぇ」という現実を突きつけてくる。流星ひかると言えばセーラー服だなあ。